学校では教えてくれない歴史

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ナチス政権下のベルリンオリンピック

今回はナチス政権下のベルリンオリンピックについて解説します。

この記事に関する動画をyoutubeに投稿しているので動画の方が良い方はご覧になってください。

 

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ナチスが政権を握った3年後にベルリンでオリンピックが開催することが決定しました。
オリンピック憲章で人種・宗教・性別・政治によって、差別を行うことはオリンピック精神に反しています。
しかし、ユダヤ人差別はすでに始まっていたので開催が困難との予想がされていたのです。
最初はヨーロッパの国々とアメリカがナチスが人権侵害をしているとしてボイコットをしようとました。

ヒトラーも当初はさまざまな人種と一緒に競技をする五輪には乗り気ではなかったですが、ナチスの宣伝大臣ゲッベルスが「ドイツの国力やアーリア人の優秀さを世界に見せつける絶好の機会」と位置づけてヒトラーを説得し、国の総力を挙げて開催準備を進めました。

プロパガンダ効果目的でドイツは五輪を開催する方向へ舵を取ったのです。
ユダヤ人の迫害を一時的に緩めたりヒトラー自身も、人種差別発言を抑えるなど国の政策を一時的に変更してまで大会を成功に導こうとしました。
最終的にボイコット予定だったヨーロッパの国々とアメリカも参加することを決意したのです。

ナチスオリンピックを通じて親切で良心的な国であるとのプロパガンダ効果が期待できたので開催に前向きとなりました。
選手団には出身国の文化や習慣に合わせたサービスが提供されて、夜は花火大会や演奏会を開いて楽しませたのです。
街には500人もの通訳が外国人観光客をサポートしました。
最も手厚くもてなしたのが報道陣です。
オリンピックを前にしたナチスはベルリンから反ユダヤ主義の色を消していました。
新聞にはユダヤ人を批判する記事を載せることを禁止し、国民にも差別的な発言をしないように命令しました。
逆にユダヤ人観光客にも親切にするように命じました。
オリンピック憲章に違反していないとアピールし、報道陣の宣伝効果は抜群でした。

報道陣や選手団、観光客を利用して親切で友好的なドイツという印象を植え付けることができました。

当時は情報収集できるものが新聞テレビラジオぐらいしかなく、ネットがないので世論誘導や情報操作が容易くできたのです。

オリンピックが失敗すれば意味がないので大会を盛り上げるために史上初の試みをいくつもやりました。

代表的なものは次の三つです。

一つ目が聖火リレー
今や当たり前に行われている聖火リレーだが最初に行われたのはベルリンオリンピックでした。
古代オリンピックの発祥地のギリシアオリンピアの聖火を採火してベルリンまで3000人のランナーが5か国を経由しました。

二つ目がテレビ実況中継。
当時の国では開発段階だったテレビ中継が試験的に導入されました。画像が鮮明でない場合が多く放送時間になるとたくさんの人が街頭テレビに群がりました。

三つ目が記録映画。
初めて五輪記録映画を制作しました。「オリンピア」という題名でヴェネチア映画祭でグランプリを受賞し、不朽の名作と言われるほど絶賛されました。
この記録映画の成功によって組織委員に大会記録映画の制作をIOCが義務付けたのです。

 

以上のことからナチスベルリンオリンピックプロパガンダとして政治利用していたことが分かります。

 

最後までご覧になってくださってありがとうございました。