ナチスの映画政策
今回はナチスの映画政策について解説していきます。
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ナチスは映画が大衆に与える影響が大きいと考えていて、プロパガンダの手段として利用していました。しかし、全面的にプロパガンダ丸出しの作品ばかりだと国民が見なくなるので、ほとんどの映画は娯楽映画だったのです。
ナチスが理想とする兵士や英雄の男や家庭的で子だくさんの母親ばかり出てくると観客は現実とのギャップで感情移入できなかったためだと言われています。
娯楽映画の前にプロパガンダを多く含む作品を上映する義務がありました。
見たい作品の前はニュース映画やドキュメンタリー映画を見る必要があったのです。
ナチス政権下で1100本以上の映画が制作されており、戦況が悪化していた1942年~44年であっても観客動員数は年間10億人を超えていました。
日ごとに厳しさを増していく戦況下で現実逃避する手段として映画を見ていたと予想されています。
現実から目をそらす目的で国民は娯楽映画を見に行くが、見たい映画の前にプロパガンダ映画を見なければならなかったのです。
映画の内容はハッピーエンドになるような作品や喜劇が多かったです。
戦争末期で敗戦が濃厚であっても幻想を見たかったのだろうと予想されます。
映画を制作するには事前に台本や原稿など事前に検閲されていたので政治的に好ましくない作品を制作することは不可能でした。
特に宣伝大臣のゲッベルスは映画制作を意のままに決定することができたので配役や制作指揮に多大な影響力を及ぼしました。
女性監督のレニ・リーフェンシュタールがプロパガンダ作品を作ったことで特に有名です。
初の監督と主演をつとめた映画「青の光」がヴェネチア国際映画祭で銀賞を受賞し、ヒトラーが彼女の才能を高く評価して直々に映画制作を依頼しました。
特に次の二つの作品が有名です。
一つ目が「オリンピア」
初のオリンピック記録映画として制作されヴェネチア映画祭でグランプリを受賞しています。ナチスが理想としている健康的な肉体美が表現さています。
二つ目が「意志の勝利」
ナチスの第6回全国党大会の記録映画です。
使用されたカメラは16台、スタッフは100人以上、撮影フィルムは60時間分に上り、当時としては大がかりなものでした。
ヒトラーが雲に覆われた空から太陽の光をバックに飛行機に乗ってニュルンベルクに到着するシーンはヒトラーを神や絶対的な存在として表現していると言われています。
ヒトラーが常に群衆を見下ろすように構成されています。
レニ・リーフェンシュタールは第二次世界大戦後の裁判において、
「ナチス同調者だが、戦争犯罪への責任はない」との無罪判決を得て釈放されました。
しかし、ナチズムに協力した映画監督としては最も著名であったことで、生涯にわたって非難を浴び続けることになりました。反ナチズムの執拗な誹謗中傷や「ヒトラーの愛人」といった嘘が飛び交い失意のまま2003年に101歳で亡くなくなりました。
ナチスを正当化するプロパガンダ映画を作ろうと意図的にしていたのかは彼女しかわかりません。
ナチスは映画を利用してプロパガンダをしていたことが分かります。
最後まで読んでくださってありがとうございました。