学校では教えてくれない歴史

知ってるつもりだけど本当は知らないことを書いてます。

ナチスのテレビ番組

今回はナチスのテレビを利用したプロパガンダ戦略について解説していきます。

 

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ナチスが初めて定期的にテレビ番組を放送しました。
ドイツの放送ネットワークを国有化した後、1936年にテレビ局パウル・ニプコーを開局したのです。

テレビ局の「パウル・ニプコー」は人名です。
パウル・ニプコーは1884年にニプコー円盤を開発してテレビ開発を進めました。
初めて機械式テレビを開発をしたのはスコットランドですが、それにはニプコー円盤が用いられてました。
ニプコー円盤を開発した功績からテレビ局の名前をパウル・ニプコーと命名して、帝国放送評議会のテレビジョン協議会の名誉会長となったのです。

当時のテレビには欠かせないブラウン管を発明したのもドイツ人です。
1897年にフェルディナント・ブラウンがブラウン管を発明しました。

ナチスが政権を取るまえから技術力は高いと言えます。
しかし、テレビ開発は世界的に見ても最先端だったが問題がひとつありました。

それはテレビが高価すぎて庶民は手に入れることが難しいことです。

当時発売予定だったのフォルクスワーゲンの2.5倍以上だとされています。

それだとテレビを開発して番組を放送しても誰も見てくれないのでベルリン市内にテレビ室を設置しました。

庶民のために無料でテレビを見ることができる部屋です。
第二次世界大戦開戦までに500室以上設置しました。

テレビ番組は政治的な番組もありましたが、娯楽番組が多かったのです。

 

プロパガンダ番組ばかりだと誰も見てくれないので料理番組やお見合い番組をメインに流していました。

当時のドイツは少子化が問題になっており、結婚資金貸付法を施行して結婚をする際に結婚資金を無利子で貸し付ける制度を設立しました。
子供が生まれるごとに返済金の4分の1が免除されて4人産めば全額が免除されました。

第一次世界大戦の敗北とその後の世界恐慌で、ドイツ中に失業者があ触れた結果、将来を悲観した人々はこどもをつくることをしなかったのです。
国の支援が必要でした。

つまり、ドイツはナチス政権を取る前からテレビを開発できるほどの技術を保有しており、ナチス政権下になると娯楽番組を流しナチスの考えも流すことによってテレビ番組がプロパガンダの役割を担っていたと言えます。

 

 

最後まで読んでくださってありがとうございました。